最近、高市総理の安全保障に関する発言の中で「戦艦」という単語が出てきたことに、世間は意外と静かだ。
メディアも野党もスルーしているが、私の周りの「ミリタリーに明るい層」の間では、ざわめき…というより、ある種の「底知れぬ不安」が広がっている。
「細かい言葉尻を捉えるな」と言われるかもしれない。しかし、あえて言いたい。
これは単なる言い間違いではない。最高指揮官(Commander-in-Chief)としての「基礎知識の欠如」を示す、重大な欠陥である可能性があるからだ。
今回は、なぜこの発言がそれほどまでに「ヤバい」のか、ビジネスや組織運営の視点も交えて言語化してみたい。
1. 「戦艦」は現代の海に存在しない
まず前提として、現代の海軍(自衛隊含む)に「戦艦(Battleship)」という艦種は存在しない。
戦艦とは、かつての大和やアイオワのように、巨大な主砲と分厚い装甲で殴り合うための艦だ。これは第二次世界大戦で航空機とミサイルに主役を奪われ、完全に役割を終えた過去の遺物である。
現在の主力は「護衛艦(Destroyer / Frigate)」だ。これらはイージスシステムや高度なミサイル制御能力を搭載した、いわば「海に浮かぶ精密機器の塊」である。
「船なんだから、名前なんてどっちでもいいだろ?」と思うかもしれない。しかし、この違いは決定的なのだ。
これを混同するということは、IT企業の社長が「AWSのクラウドサーバー」を指して「汎用機(メインフレーム)」と呼んでいるようなものだ。
「データを処理する機械なんだから、名前なんてどっちでもいいだろ?」
そう言う社長に、あなたは数百億円規模のDXプロジェクトを任せたいと思うだろうか? アーキテクチャが根本的に違うものを同一視する人間に、適切な指揮は執れない。
2. 「保守=軍事に詳しい」という誤解
ここで一つのパラドックスに気づく。
一般的に「保守派(右派)」は防衛力を重視し、軍事に明るいと思われがちだ。しかし現実は往々にして逆である。
一部の保守派にとって、国防とは「国家の威信」や「愛国心」といった精神的・思想的な概念で語られることが多い。
一方で、実際の現代戦は、物理学、通信工学、ロジスティクスが支配する極めて冷徹な「科学の体系」だ。
精神論でミサイルは迎撃できない。
石破元総理はその点、マニアックすぎて別の面倒くささはあったが、少なくとも「兵器のスペック」と「実際の運用」の重要性は理解していた。
対して、現在の「戦艦」発言に見え隠れするのは、「軍事というシステム」への理解度の低さだ。勇ましいスローガンばかり気にして、実務的な仕組みに興味がない。これでは現場は疲弊する一方だ。
3. 最高指揮官が招くリスク
私が最も危惧するのは、有事の際の意思決定プロセスだ。
内閣総理大臣は自衛隊の最高指揮官である。現場に「Go」を出すのも、作戦のリスクを評価するのも政治の役割だ。
もし、指揮官の頭の中にあるイメージが「大艦巨砲主義の頑丈な戦艦」で、実際の手札が「高度だが打たれ弱い現代の護衛艦」だった場合、何が起きるか。
- 戦力判断の誤り: 「戦艦ならこれくらい耐えられるだろ」という誤った前提で、防御の薄い現代艦を危険地帯に送り込む。
- 不可能な命令: 現代の戦闘セオリーを無視した、精神論ベースの無茶な命令が下る。
仕様も性能も理解できていない上司の下で働くことほど、現場(自衛隊員)にとって不幸なことはない。そしてその失敗の代償は、ビジネスの赤字などではなく、国民の生命そのものだ。
4. 結論:言葉の端々に表れる「解像度」
「戦艦」というたった一言だが、そこには「現代軍事技術への無関心」が凝縮されているように感じる。
シビリアンコントロール(文民統制)とは、素人が口を出すことではない。政治家が軍事の基礎を理解した上で、適切に統制することだ。
威勢の良い言葉に酔う前に、まずはご自身の認識を昭和初期から令和版へアップデートしていただきたい。
我々国民も、政治家を評価する際、「思想の強さ」だけでなく、「実務能力と知識の深さ」を冷静に見極める必要があるのではないだろうか。
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